[2013年][9月上旬]
島津製作所記念館に行ってきました。
島津製作所はノーベル化学賞を受賞された田中耕一さんが所属している会社としても有名かと思います。
外から見るとこじんまりとした印象です。
ストリートビューで見るともっとわかりやすいかもしれません。
中に入ってみると島津製作所の歴史が所狭しと並んでいました。
創業者である初代 島津源蔵は、もともと仏具屋だったのですが、
明治の文明開化とともに欧米から輸入された教育用の理化学機器の修理・製造を行い業をなしたそうです。
初代は日本発の有人気球を成功させた人でもあるそうです。
一方で、息子である二代目 島津源蔵は学校こそ一年半余りしか通っていないそうですが、15歳で感応起電機を作製し、初代の後を継いでからは、X線や蓄電池の製造に力を注いだとのこと。
下の画像は感応起電機や当時のレントゲン撮影装置だそうです。
個人的に面白いと思った話が三つほど。
教育用理化学機器の製造の一環で人体模型を作っていたそうですが、そのままマネキンも作っていたそうです。
国内でのマネキンのシェアは8割を越えていた時期もあったそうですが、これも戦前の話。今ではありません。
二つ目は、レントゲンの話です。
ヴィルヘルム・レントゲンによってX線で骨の撮影に成功した11ヶ月後には、
島津製作所でも撮影に成功したそうです。この時も感応起電機が役に立ったそうです。
この13年後、島津製作所は医療用のレントゲン機器の製造に乗り出しますが、当時は危険性もわかっておらず遮へいの概念がありませんでした。
結果、被爆でなくなった従業員の方もいたそうです。
今でこそ危険とわかっているため遮へいを行っていますが、初期のレントゲン機器は丸出しの状態で使われていたとのこと。
また、教育用機器としてのレントゲン撮影キット?みたいなのも作って学校に卸していたそうです。
この分野は今も島津製作所の一旦を担っています。
最後に、自動車に使われるGSバッテリーの「GS」はゲンゾウ・シマズのイニシャルからきているそうです。
ジーエス・ユアサバッテリーと会社名にも残っています。こちらはマネキンと同様に現在の島津製作所では扱っていません。
滞在時間はざっと一時間ほど。ゆっくり回っても二時間ぐらいではないでしょうか。
創業にはじまり現代までの島津製作所の歴史がわかります。
初代と二代目のことを簡単にアニメにしたビデオもありわかりやすかったです。
島津製作所記念館のホームページはコチラ。
場所はこちら。私は河原町駅から歩いて行きました。
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